古き良き時代のシリアを目指して


シリアでは2011年に起きた内戦が10年以上続いています。日頃見聞きするニュースでは知ることができない現地の声を、シリアのために生きるPiece of Syria代表の中野貴行さんに伺いました。

シリアとの不思議な縁


2005年にバックパッカーとしてシリアを初めて訪れました。当時イラク戦争が続いていたので大丈夫かな?と思っていましたが、拍子抜けするくらい安全で驚きました。商店街を歩いていたら、「ここに座って」と言われお茶が出てくるなど、”中東 = 怖い”というイメージとはかけ離れた姿がそこにありました。その後、青年海外協力隊に応募し、派遣されたのがなんとシリアでした。当初はアフリカを希望していたので、シリアとは不思議な縁があるなと思いました。

あまり知られていないシリアという国


青年海外協力隊としてシリアで2008年から2010年まで活動していました。まずは現地の人たちの生活を知ろうと思い、最初はひたすら人の家でお茶を飲んだりご飯を食べたりしていました。バスに乗ったら隣のおじさんが僕のバス代をいつの間にか払ってくれていたり、大きな荷物を持って歩いていたらバイクの後ろに乗せてもらったりするなど、シリアはそういったことが当たり前の国だったのです。2010年時点では実は日本よりも外国人観光客が多かったのですが、このような情報はほとんど知られていないのではないでしょうか?

内戦によって分断された国内


2011年3月にシリアで内戦が始まり、誰もが「きっとすぐに終わるだろう」と考えていました。僕も戦争が落ち着いたらシリアに入ろうと思っていましたが一向に終わる気配がありませんでした。そんな中で、難民でありながらも自分の貯金を切り崩してシリア国内の幼稚園を運営しているシリア人と出会いました。こんなに熱い思いを持った人がいるのならプロジェクトを立ち上げることができるのではないかと思い、2016年にPiece of Syriaを発足させました。

僕たちは主に広報活動や寄付を集め、国内の活動は現地パートナーに主体的に取り組んでもらいながら、現状報告や質の向上などについて定期的に議論しながら進めています。


Piece of Syriaは政治的思想のない団体ですが、今支援しているのは北西部のいわゆる反体制派のエリアなので、公共サービスが届かず、この地域の学校はほぼ全てがNGOによって運営されています。シリアは元々就学率100%を誇り、大学までの授業料が無料で質の高い教育が行われていました。

しかし現在では、子どもを学校に通わせられない、先生たちのお給料が出ていないといったケースがかなりあります。先生たちが、「今日のご飯をどうしようか」ではなく、「いいクラスにするために何をしようかな」と考えられるようになるためには、まずは先生たちにお給料を届けることが重要だと思います。


戦闘という面においては、徐々に安定してきたもののゼロではないので、子どもたちだけで外で遊ばせておくことができません。家の中でしか遊べない状態でいざ小学校に進学するとなっても、急には集団生活に馴染めません。小学生になる前に子どもたち同士で遊ぶ経験があることはとても大切なので、僕たちは幼稚園のサポートもしています。

ニュースから得られる情報だけではない事実があるということを、この機会に知っていただければ嬉しいです。

*写真は戦争前の写真です。(写真提供:中野さん)

Piece of Syria 

https://piece-of-syria.org


「シリアをまた行きたい国にする」をビジョンとして掲げ、復興の主体である子ども達が基礎教育を受け、自らの力で国を復興し、未来の平和をつくるための活動をしています。現地パートナーと協力し、国連や国際NGOからの支援が届かない地域に住む、シリアの子ども達に教育を届けます。

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